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海外インターンブログ

日本への出稼ぎ労働者



はじめまして、れおと申します。


現在、南山大学外国語学部アジア学科に在籍してます。
大学では、インドネシア語を中心にアジアについて学んでいます。


そして、9月から半年間ジャカルタで
インターン生として働かせていただくことになりました!
よろしくお願いします。

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<写真は伝統衣装バティックのお店>



今回僕が投稿する内容とは、インドネシアにおける出稼ぎ労働者についてです。



■体験記

僕は以前に一ヶ月ほど春休みを利用してインドネシアのUSD(サナタダルマ大学)に短期留学していました。
そのときに感じとことを書きたいと思います。




そこで、友達になった女性がいます。
その女性と接したことで日本とインドネシアの関係を考える機会になりました。


僕が彼女と出会ったのは、昨年の3月にジョグジャカルタ(中部ジャワ)へ行ったときのことです。僕を見るなり、すぐに日本人と分かり話も合ったので、すぐに仲良くなれました。

また彼女は現地の日本語学校に入って日本語を勉強していたのですが、そこで意外な発見がありました。

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<写真右の女性が友達です。>



というのは、ただ単に日本が好きで語学を習得したい訳ではなかったのです。

それは俗にいう、出稼ぎ労働のための勉強であったのです。


学校には無償で日本語を学べ、日本で働くことが出来る代わりに、最低三年間の日本での労働が条件です。このプログラムによって、日本で大金を手にして祖国に帰ります。

その働く内容とは具体的に、漁業市場で上げられた魚を詰めたり、仕分けするような肉体労働をするそうです。これを聞いたときに、僕は正直「自分はあまちゃんな世界に住んでいるな」と感じました。どんなに厳しい環境でも、途中帰国といった泣き言が許されることはありません。それが女性であってもです。
生活のために学ぶ姿はとてもタフで、考えさせられました。



ちなみに彼女のお兄さんはすでにそのプログラムで日本で三年間働き、持ち帰った大金で家やバイクを購入して、家族に費やしたそうです。
いわばアメリカン・ドリームならぬジャパニーズ・ドリームですね。

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■帰国後
日本に帰国後、新たなことが分かりました。
やはり、日本とインドネシアは経済的な交流が盛んであることです。
僕が読んだ書籍には以下のように書かれていました。


◯東日本大震災とインドネシア人

震災が発生した頃、日本には約2万5000人のインドネシア人がいた。
在日インドネシア大使館によれば、このうち岩手・宮城・福島の三県の他に、三年契約で来日する農業・漁業研修生が茨城県を中心に数千人いた。

インドネシア大使館は、大震災の後すぐに危機センターを立ち上げた。そこで騒然とする危機センターで大きな力を発揮したのが留学生だった。原子力を専攻する11人の大学院生が危機センターに詰め、原発事故をめぐる情報を分析した。彼らの分析に基づいて、在日するインドネシア人に向けて避難勧告を決めたという。

インドネシアは2004年末、スマトラ島沖大地震・津波を経験し、死者・行方不明者は16万人を数えた。その際にいち早く駆けつけてくれた日本への恩を返す時だと、政府は緊急救助隊を派遣した。
そして、一般市民による祈りの集会が開かれ、企業からの義援金も寄付されました。

このように、日本とインドネシアの関係は深いのです。

<参考文献:佐藤百合『経済大国インドネシア』中公新書、2011年>


■これから
このような体験から、僕はインドネシアと日本をつなぐ仕事に就きたいなと漠然と思い始めました。

21世紀はアジアの時代と言われています。

自分もその中の一員となりたいと思っている次第であります。



人がいいね!と言っています。
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